こんにちは、天月珠美です。
実は、1月5日に母が亡くなりまして、前日の講座キャンセル等、皆様にはご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げますm(__)m
それにしても、母の氣、というか、子供を思うエネルギーの強さはすごいなぁ、と思いました。
(ちなみに、僕には兄弟がおりません)
母(享年75歳)は2年半ほど前、2006年の5月に肺ガンが見つかって、すでにその時点で末期状態でした。
ですので、先生からも「そんなに長くはない」という話を身内は聞いていました。
ただ、本人にはガンとは告知したものの、そのような状態であるということは伝えていませんでしたので、10年ぐらいは大丈夫と思っていたようです。
その年の7月に抗がん剤治療を受けるために入院しましたが、効果がなかったので2ヶ月ほどで退院。
その後は自宅で普通に生活しており、咳はでるものの、それまでと変わらない暮らしぶりでした。
昨年の10月に、咳がひどくなったので再度入院しましたが、特にこれといって治療をするわけでもなく(治療の余地がないので)、体力を回復させて1ヶ月ほどで退院しました。
酸素吸入を日常的に行うことにはなりましたが、家の中は動き回れる状態でした。
年末の29日に、父が主治医のところへ今後の治療方針の相談に行った際に、先生から
「今まで持つということ自体、とても考えられないこと。長くても、春ぐらいまででしょう」
という話があり、1月5日に入院をすることに決まりました。
それが、1月3日の朝に容態が急変し、救急車で主治医の病院へ搬送、入院、そして逝去ということになったのですが、
すごいなぁ、と思ったのは
■年末年始も家で過ごせた
■元日には雑煮を作ってくれた(これが最後の手料理になりました)
■母が暮れに僕に「正月はどうするの?」と聞いたので「31日~2日は実家で溜まったビデオを観まくる」と話した。
で、結局それを達成させてくれた。(2日まではそこそこ元気だったので)
■3日の朝、僕は出かける予定だったが、待ち合わせをしていた友人から「1時間ほど遅れる」という連絡があり、実家でTVを観ていた。
そうしたら、容態が悪くなったので、結果的に、病院まで一緒に行くことができた。
■3日は友人と七福神巡りをすることになっていた。入院後、午後には容態が安定したので(しばらく入院が続くだろうという状態)、僕は一旦病院を出て、友人と七福神巡りができた。
夕食を食べた終わった時、付き添っていた父から「危篤になった」と連絡が入った。
■病院へ着いてみると、容態が少しよくなっていて、亡くなるまで結構話ができた。
■4日の夜には先生も「朝までは持たないでしょう」という状態だったのだが、朝まで持ちこたえて、朝一で遠くからやってきた親族もカラダの暖かいうちに触れることができた。
■僕がどうしても外せない講演会などとは一切かぶらず、納棺~通夜~告別式~初七日とすべてに僕が出ることができた
■三が日明けは、火葬場が非常に込み合う(年末年始は休業なので)のに、希望の日時が取れた。
などなど・・・
ホントに、感服しましたm(__)m
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